前回は、土地柄や地域性を自然現象と人文現象から総合的に捉えることについて紹介しましたが、自然環境と人間の活動には緊密な関連があります。両者の相互関係を考えることは「地人相関論」として昔から地理学の重要なテーマとなってきました。今回はその点について紹介しましょう。
このテーマを考えたとき、すぐに思いつくのは人間の生活が気候や地形などによって規定されるという側面です。自然が人間の肉体的・精神的状況や社会に与える影響については、さまざまな方面で見られるとおりで、熱帯と寒帯、多雨地帯と乾燥地帯での暮らし方の違いは、生活を支える産業活動はもとより、思考の様式にも及んでいます。例えば、世界の中でも降水量の多い日本では、雨の降り方を霧雨、土砂降り、通り雨、長雨などといろいろな呼び名で表現することもその一つでしょう。また、朝鮮半島を含めてユーラシア大陸で広く見られる市街が城壁で囲まれた囲郭都市(城郭都市)が日本では見られないことも、他国から攻められにくい島国という自然環境の違いから説明できるかもしれません。高度差・温度差による高地と低地の違いや、台地と低地の違いから利水や水害によって生じる産業や生活様式の差だけでなく、島嶼と大陸といったスケールの大きな視点からの地形の違いも考えられます。
自然環境が人間の生活様式に影響を与える側面を重視した考え方は「環境決定論」あるいは「決定論」と呼ばれ、既に古代ギリシャの時代から論じられており、古代ローマではイタリアの地理的位置や自然条件がローマ人の卓越性やローマの興隆に資したと考えられていたようです。人間の生活や民族の歴史が環境に制約される関係性を追究したドイツの地理学者ラッツエル(1844-1904)はその代表とされています。彼の思想は日本の地理学にも大きな影響を与えています。日本の代表的な哲学者の一人である和辻哲郎(1889-1960)の『風土論』も、人間の思考や性質を規定するのは風土であるとしています。
「環境決定論」と対をなすのが「環境可能論」、あるいは「可能論」と呼ばれる考え方です。環境は人間活動のために準備されたものだという前提で、歴史的・社会的な要因を重視します。フランスの地理学者ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュ(1845-1918)がその代表です。豊かな鉱産資源が存在しても、それを活用する技術が開発されなければ単なる岩山にすぎませんが、技術開発によって砂漠の産油国が経済大国として世界経済を席巻し、巨大な都市を建設してきたとおりです。資源開発が急速に進展した20世紀は「可能論」が闊歩するような時代であったと言えそうです。
しかし、20世紀の後半になると、日本の高度経済成長に伴って出現した公害問題のように、人間活動による環境問題が世界的な課題となってきました。21世紀に入って、気候変動といった地球環境の悪化がやっと本格的に危惧されるようになり、最近ではSDGs(持続可能な開発目標)がまるでキャンペーンのように叫ばれるまでになりました。まさに人間の環境への適応のあり方が問われているのです。
ウズベキスタン・タシケント郊外で見たシルダリヤ川からの灌漑用水路
ソ連時代に建設された灌漑施設による水の汲みすぎから、
シルダリヤ川が流れ込んでいたアラル海が急激に縮小してしまった。
人間と自然環境の関係を考える上での代表的な課題例の1つである。
(2015年筆者撮影)