青春と 青春と 映画

池端忠司

神奈川大学 法学部 教授

6. 微分積分の世界を超えた私たちと良心

2024年05月10日

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何日か前に『オッペンハイマー』(2023年制作、クリストファー・ノーラン監督)を見た。映画を映画館で見るのが久しぶりで、音響が良すぎて疲れた。ニューメキシコ州での原爆の実験の様子が描かれていて、そのすさまじい音や光や雲を表現した映画の特殊効果は、その威力を雄弁に語っている。おそらくこの作品のもっとも重要な部分はこの音響なのだろう。3時間の長い映画だったけれども、寝てしまうことはなかったのは、原爆が広島と長崎に落とされることを知っていたからかもしれない。また、アインシュタインはじめ有名な物理学者が何人も出てきたが、不思議なことに歴史に残るような偉人には少しも見えない。それは、オッペンハイマーについてもいえることで、この作品の主題はそこにあるのかもしれない。

 

また、彼はアメリカに帰国後カリフォルニアの大学で最初に物理学の授業を担当した際、受講生が一人しかいなかったシーンもある。彼は映画の中では、しがない物理学の大学教師であり、それ以上でもそれ以下でもない。ローズベルト大統領が始めたマンハッタン計画の下、1943年にロスアラモス国立研究所の所長になるまでは。オッペンハイマーが講演を頼まれオランダに行ったとき、英語でもドイツ語でもない、オランダ語で講演を行ったシーンがある。何か月かかけて事前にオランダ語を勉強したとのことだが、ここで彼の人間性が垣間見える。

 

もっとも衝撃的なのは、修行時代のイギリスで、ケンブリッジ大学の化学の教授を青酸カリ入りのリンゴで殺してしまったかもしれないエピソードである。しかもそのリンゴはもう少しのところでその後オッペンハイマーが師事することになる物理学の教授(ニールス・ボーア)が噛んでしまったかもしれないのである。彼は実験が得意ではなくその化学の教授に叱責されたことに対する仕返しである。実験よりも理論あるいは数式を捏ね繰り回すのが得意だった彼は、結局、それが功を奏して理論物理学の道で成功する。若いうちはみな多少精神を病むもので彼の場合も例外ではなかったようだ。

 

この映画の中で彼の人生を描く大きな流れ、とりわけ女性遍歴の話と同じぐらい重要なもう一つの大きな流れは、太平洋戦争後のアメリカの赤狩りであり、映画の初めからその場面が出てくるが、終盤はそればかりになる。字幕を追うのがきつい尋問シーンが続く。彼の周りには懇意にしている組合活動をする共産党員もいて、彼自身は共産党員ではなかったようだが、組合活動を積極的に行っていた。ロスアラモスの研究所の研究者にもソ連のスパイがいると政府の調査の結果明らかになっていた。

 

一番つらいシーンは、トルーマン大統領が原爆を落として日本が敗北したとき、ロスアラモスの研究所で一緒に原爆を作った仲間たちやその家族たちの前で、祝賀会が行われたシーンである。オッペンハイマーは心にもない勝利宣言をする。祝賀会で彼を待ち、歓喜する仲間たちの床を踏み鳴らす足音は、まるで原爆実験の時のあのすさまじい爆音のように彼には聞こえ、おそらく勝利宣言のスピーチの後であったと思われるが、原爆の犠牲者だと思われる黒焦げの塊が彼には見えていることを示唆するカットが幻想のように挿入されている。