青春と 青春と 映画

池端忠司

神奈川大学 法学部 教授

2. 『白夜』と記憶

2022年08月30日

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ドストエフスキーの『白夜』を原作としたこの映画は1971年に仏伊合作で制作され、ロベール・ブレッソン監督64歳の時の作品である。日本では1978年に公開され、私は、大学1年の時に岩波ホールで観た。夜の場面がほとんどで、それゆえ白黒映画であったという印象があったが、実際はカラー映画であった。

 

画家を目指すジャックは、ポン・ヌフという橋の上からセーヌ川に身を投げようとするマルトという女性を助ける。彼女には、アメリカに留学した恋人がおり、1年後に橋の上で再会することを約束したが、その日になっても恋人が現れず、悲しみに暮れていた――

 

パンフレットを読み返すと、けっして難解な作品ではなく、分かりやすいメロドラマである。しかし出会いのシーンの後すぐ、二人の回想シーンとなったため、映画初心者の私にとっては分かりづらく感じたのか、また、月日が経ったせいもあるのか、筋を覚えていないところも多い。

 

それでも強く記憶しているシーンがいくつかある。

 

たとえば、街にある看板の字が、好きになった女性の名前、つまり「マルト」に変わる場面であり、もう一つは「マルト、マルト、マルト……」と彼女の名前が繰り返される場面である。これは、ブレッソン監督の映画的な表現方法であり、ジャックの募る恋心を表現したものであろう。しかしその際、面白いのが、「マルト」の連呼は、ジャックが自分でテープレコーダーに録音しそれを再生したものであったことだ。そういえば、最後の方の喫茶店の場面でジャックとマルトが恋人同士の仕草を行うシーンもあった。なぜかこのシーンが甦ってくる。少しエロチックであったからだと思うが、記憶とは不思議なものである。

 

さらにもう一つ思い出したのは、映画の最初の方でジャックの絵の友達が、彼の部屋に来て絵画論を一方的に話し続けてすぐに去っていくシーンだ。これは、芸術に夢中になっている若者にありがちな言動であると今では理解できるが、当時、私はかなり違和感を覚えた。映画の中のその若者がなぜそのような不自然な行動をとるのか分からなかった。

 

いずれにせよ、大学生だった私にとって、捉えどころのない現実と同じぐらいこの映画はリアルであった。そして筋を辿ることもできない今の私にとって、この映画は現実以上にリアルである。

 

フランスに行くことがあれば、夜になってセーヌ川にかかるポン・ヌフの上から遊覧船(バトー・ムーシュ)を眺めてみたい。