ことばが深める旅の魅力

中井延美

明海大学 准教授

1. 「ことば」への扉を開く

 ―観光言語学への誘い―

2022年07月22日

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私の原形は、高度成長期に多感な時代を過ごした「英語好き少女」である。最初は、英語の向こう側にある世界に漠然と憧れていた。でも、英語で何がしたいのか、よくわかっていなかった。次に、外国人に日本語を教えるための勉強にも取り組んだ。

英語や日本語に関する知的好奇心という「鍵」をずっと持ちながら、どの鍵穴に差し込んだらぴったり合うのか見当がつかず悩んでいた。しかし、アメリカの大学で言語学(Linguistics)に出会った瞬間、自分のなかで鍵がカチャっと回り、ことばの研究への扉が開いた。30年以上前のことである。

 

私の専門は、言語学の意味論・語用論であり、中でも名詞句のDEFINITENESSの研究に継続的に取り組んでいる。また、もう一つの大きな関心ごとは、言語学の理論研究から得られた知見を実際の英語教育や日本語教育の現場にいかに取り入れていくことができるかを検討することである。

加えて、たまたま観光系の学部と深いご縁があったことから、言語学と観光研究の関わりについてもずっと考えてきた。その結果、少しずつ見えてきたことは、「言語学」と「英語教育/日本語教育」と「観光/ツーリズム」は、それぞれの研究要素や教育要素を学際的に好循環させることが可能だろうという方向性である。図1のようなイメージである。

 

 

「ことばの研究」というテーマでゼミ(以下、中井ゼミ)を持つようになってから早幾年が過ぎ、研究室の書棚には十数冊のゼミ論集がずらりと並んでいる。本コラムの表題にある「ことばが深める旅の魅力」は、実は、「ことばの研究―“ことば”が深める旅の魅力」と、ゼミテーマのサブタイトルとして掲げてきたキャッチフレーズである。

 

私のゼミに来るのは、観光系の学部の学生であるため、それまで言語学の「げ」の字にも触れたことがない学生ばかりである。そのため、「敬意表現」「挨拶」「断り方」「呼称」など身近な言語事象に焦点を当て、日本語や他の言語の構造や表現、発想の違いなどを観察することによって、ことばの背景にある文化や社会のしくみなどに目を向けてもらう。

ゼミ生募集の誘い文句はこうだ。「このゼミナールに入ると、ことばの冒険の旅が始まります。旅の道づれは、知的好奇心。ことばは人間(ヒト)にのみ与えられた宝物です。あなたの可能性を‘ことば’を通して一緒に探しに行きましょう」。そして、「「ことばが好きな人」「ことばを大切に使いたい人」「ことばに関するさまざまな疑問に《なぜだろう?》と考えてみたい人」等など歓迎します」と駄目押しする。

中井ゼミでは、私はいつも学生に「あなたがワクワクすることは何ですか」と問いかける。直接的に「ことば」に関連したテーマであっても、そうでなくてもいい。ワクワクする対象がどのようなものであっても、人間が関わっている事がらであれば最終的に何かしら「ことばの要素」と結びつくからである。さらに、そこから、あわよくば言語学と観光研究の学際的好循環の可能性が見いだせるかもしれないというスタンスで行っている。

 

これまで、百数十名のゼミ生が興味や関心を抱くテーマに論文指導を通じて関わってきた。中には大変ユニークなテーマで書く学生もいる。「この学生とのご縁がなければ、私は一生、このテーマについて深く知ることはなかっただろう」と思える瞬間も少なくない。ゼミ論指導の醍醐味である

私が指導してきたゼミ論は、そのほとんどが「ことばの研究」ではあるが、その研究によって旅の魅力が深まるかといえば、直接的にそうは言えないものが多い。あるいは、三段論法で考えないと旅の魅力を深めること(観光研究)にはつながらないテーマがほとんどかもしれない。

たとえば、ある学生が「日本と韓国の配慮の表し方の違い」についてゼミ論文を書いたとしよう。そうすると、まず「このゼミ論は、日本と韓国の配慮の表し方にはコレコレ云々の差異があると論じている」という前提ができる。次に、「日本と韓国の配慮の表し方の違いを具体的に知ると両国の文化への理解が深まる」を2つめの前提とする。最後に、「したがって、このゼミ論の内容を知ると両国への旅の魅力が深まる」と推論されるわけである。

 

中には、直接的に観光やツーリズムにつながるテーマ(旅行パンフレットのキャッチコピー、鉄道の発車メロディー、ロケツーリズムなど)で書いた学生も一部いるにはいる。しかし、大半は「ことばの研究」であり、三段論法を踏まなければ観光研究にはつながらない。

それで良い。いや、それが良い。ことばが深める旅の魅力は、言語学のスピンオフの産物であって全く問題ない。ことばについて学ぶことは人間の本質を探り、国・地域・社会・文化などに対して理解を深めることにつながる。人間を特徴づける大きな要素である「ことば」を研究する言語学は、その理論研究から得られた知見が実社会のさまざまな場面で有効に活かされることが期待される。私の身近なところでいうと、日本語教育、英語教育、観光研究とその教育への応用が可能であると考えている。

言語と絡めた観光教育には、旅を提供する側に視座が置かれたアプローチが少なくない。多言語対応のITツールや通訳案内、観光地の案内表示、英語での接客、“やさしい日本語”での対応などへの取り組みなどである。しかし、本コラムで私が発信したいのは、旅を享受する側に視座を置きながら「ことばの研究」を扱う面白さである。そこから、観光言語学という新たな学際的研究領域への展望を見いだしていく。

 

これまで中井ゼミで百数十本のゼミ論文が生まれた間に、時代は平成から令和へ移り変わり、パンデミックも経験した。本コラムでは、その時その時を生きたゼミ生たちが自らのワクワクの要素をどのようにことばの研究に結びつけたかを振り返り、新たな議論を加えることで「ことばの研究」の豊富な可能性を語っていきたい。

 

※注 各年度ゼミ論は、将来的にゼミ後輩等に教材として共有される、あるいは、教育研究目的のデータとして活用される可能性があることについて全執筆者からあらかじめ承諾を得ています。