おとなのための地理学

西脇保幸

横浜国立大学 名誉教授

第7回 地名について考える その1:起源や由来

2023年10月08日

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地名はその土地・地域の特色や個性を明示し、他と区別するためにつけられるものであり、土地と人との関係が反映されています。そのため、地名から歴史を考えたり、言葉としての地名を考察したりするなど、様々な分野で取り上げられてきましたが、ここでは地理学の視点から、まず地名の起源や由来についての一端を紹介することにしましょう。

 

集落の成立は地形に大きく左右されることから、その地名は立地する場所の特色が反映されることが多くなります。例えば、川が合流するところであれば「落合」、川に挟まれた低地であれば「河内(かわち)」や「川内(せんだい)」といった具合です。そうした低地の中で微高地が形成されたところには、「~島」の名がつくことも多いです。「牟田(むた)」と「沼田」のように水にまつわる地名から、水害を意識した先人の知恵にたどり着くこともあります。また、水害の地名とは対照的に、高度経済成長期以降、台地上の地名に「~台」「~が(ヶ)丘」がつけられ、人気を博す住宅地が形成されてきました。

 

地名はその土地の歴史を反映した例も多く見られます。古代の帰化人の居住地名として「秦(はた)」「高麗(こま)」、荘園関係の地名では「~荘(または庄)」「領家(りょうけ)」、中世の武士の集落として、「堀之内」「土居」や山城の麓に成立した城兵居住地名の「根小屋(または根古屋)」などが知られています。江戸期の職人町や新田開発に伴う「~新田」も、そうした地域の由来を今に伝えています。

 

明治期以降に発生した地名では、北海道の開拓に伴う例がその代表となるでしょう。アイヌ語地名に漢字を無理に当てはめたため、音訓混じりも多く、北海道の地名を読みにくくしているとおりです。さらに北海道では、移住者の出身地由来の地名が見られることも特色と言えます。広島県人の集団移住が起源の北広島市、奈良県十津川村からの新十津川町などがそうです。

 

最近では平成の大合併で新たな地名が作られたことは記憶に新しいことでしょう。旧名称をそのまま結合した由利本荘市(秋田)や山陽小野田市(山口)のほか、茨城県の小美玉(おみたま)市のように、3つの町村名(小川町、美野里町、玉里村)の頭文字を連接させた地名も現れました。こうした合成地名は、明治期以降の郡の統廃合からしばしば採用されましたが、東京の大田区が旧大森区と旧蒲田区の統合で生まれたことや、国立市も国分寺と立川の間にあるところから命名されたことが知られています。

一方、北名古屋市のように、中心都市との位置関係から命名された新地名も出現しました。このように位置の捉え方が地名や地域の名称に反映されることは古くからあり、福井県の越前、富山県の越中、新潟県の越後、岡山県の備前・備中と広島県の備後、千葉県の上総と下総などの旧国名に見られるとおりです。中心となる都からの遠近といった位置関係から名称が当てられていますが、「中東」や「極東」がヨーロッパから見ての呼称であることに似ています。

 

特筆すべきは、発音自体は変わらずに表記をひらがなとすることで、旧行政地名とは異なる新たな行政域の発足を示す新地名が登場したことです。たつの市(兵庫)、あわら市(福井)、うきは市(福岡)などがその例です。旧龍野市がその周辺の町と、旧芦原町と旧金津町、旧浮羽町と旧吉井町がそれぞれ合併しました。さらに、合併する旧市町村の納得が得られるよう、当該行政域を含む旧国名など、広域名称を採用した地名が続々と現れました。つがる市(青森)、奥州市(岩手)、常総市(茨城)、さいたま市、南房総市(千葉)、南アルプス市(山梨)、伊賀市(三重)、瀬戸内市(岡山)、吉野川市(徳島)、対馬市(長崎)、南九州市(鹿児島)など、枚挙にいとまがないほどです。しかしそれによって、山梨県の甲州市と甲斐市、静岡県の伊豆市と伊豆の国市のように、紛らわしい市名が隣り合わせにあるような状況も生まれてしまいました。