おとなのための地理学

西脇保幸

横浜国立大学 名誉教授

第9回 地図の活用

2024年05月20日

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1971年に『地図のたのしみ』(堀淳一著,河出書房新社)という、地図から地域の歴史や文化を探る好著が出版されました。著者は物理学者ですが、本書はユニークな文化論として日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。この例のように地図についてはマニアの層が厚く、さらにITの進展で様々な地図アプリも考案されて、私たちの生活に密着したものになっています。それだけに、地図に関する知見は膨大なものとなりますので、本稿では地図の活用を概観しながら、筆者おすすめの活用例を紹介することだけにとどめておくことにします。

 

古来、人や物の位置や属性に関する情報(地理空間情報)が地図として示されてきました。利用者が求める情報の内容から地図は「一般図」と「主題図」に分類されます。前者は地名・地形・道路など、基本的な情報を網羅し、正確な位置を示した地図のことで、その代表が国土地理院の標準地図(地形図)です。電子情報化に伴い、国土地理院は運用するウェブサービスでデジタル地図(地理院地図)を提供しています。地理院地図では、様々なズームレベルに応じた内容が瞬時に表示され、従来の「2万5千分の1」・「5万分の1」地形図のほかに、「20万分の1」地勢図など、縮尺に応じた精度での地理空間情報が容易に得られます。「作図・ファイル」「計測」「断面図」「3D」などの「ツール」が用意されており、画面上で距離や面積を計測したり、文字や線などを書き込んだりすることもできて便利です。さらに、地理院地図では標準地図のほかに、切土地・盛土地などが示される土地条件図などの主題図や、過去と現在の空中写真を表示することもできるので、それらを重ね合わせて地域の様々な情報を入手することができます。

 

たとえば、新旧の空中写真を見比べて当該地域の大まかな変化を理解ことができますが、より長い期間の変遷をより詳細に把握するには、旧版地図を用いて確認することになるでしょう。なかでも、以前の施設やインフラなどが名称や記号で記されている地形図は、地域の特性・変容を追究する上で欠かせないツールです。下に載せた付図は現在の横浜市中心部を1906年に測図した地形図ですが、ここから港湾都市横浜の発展に関する様々な側面を読み取ることができます。以下にその主な点を紹介しましょう。

 

 

地図出典: 陸地測量部 2万分の1地形図「横濱」「神奈川」(明治39年測図)

 

 

まず、江戸末期に開港した横浜港の面影が「波止場」として記されていることに気がつきます。ちなみに東波止場は、後に関東大震災で生じたがれきが埋められて、現在の山下公園になっています。大岡川と中村川で囲まれた開港場の中には、外国の商館やホテルなどがあり、「関内」の地名の由来を読み取ることができるでしょう。横浜スタジアムのある横浜公園が既に存在していたこともわかります。この公園は、1876年に一般公開された日本最初の洋式公園として知られています。大岡川の河口には初代の横浜駅がありますが、今のJR桜木町駅のあたりになります。その北側には楕円形の施設が2つ見られます。傍には「横濱船渠會社」があることから、造船会社のドックであったことを推測できた読者もいるかももしれません。保存された南側の1号ドックには、現在日本丸が係留されています。北側の2号ドックは復元され、ランドマークタワー脇のドックヤードガーデンとしてイベントなどで使用されています。造船会社の東側海上には,造成中の新港埠頭も見られます。現在では横浜港の中心的な存在となっている新港埠頭ですが、1917年に完成していますので、地図に描かれた頃はまさに“新港”だったのでしょう。上記のほか、現在の横浜駅あたりはまだ埋め立てが進んでおらず、駅西口一帯は「内海」となっていることもわかります。このほか詳細については、拙著『地域発見と地理認識-観光旅行とポタリングの楽しみ方』の「第5章 ポタリングのすすめ」の[5 横浜中心部の満喫コース]をご参照ください。

 

ここで紹介したような旧版地図は国土地理院で複写を入手することができますが、谷謙二先生(埼玉大学教育学部)の時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」でも一部地域の旧版地図と現代の地図を比較することができ、地域の変遷を調べるのには大変便利です。