これといって取り柄があるわけでもなく、どうしてもと固執するほどの主張もあるのかないのか・・・
前を向くのか、後ろを向くのか、いずれ「昔々ね」と話しの端にでも使って頂けたら、嬉しい限りです。
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1968年に発売された青江三奈の唄う「伊勢佐木町ブルース」で一躍全国区となった伊勢佐木町は「伊勢佐木あたりに灯りがともる」という歌詞の所為か、すっかり夜の街のように思われがちですが、1950年代後期から、つまり戦後が落ち着きを見せ始めた頃から、近隣の人々がおしゃれをして、映画を観て、買い物をし、食事をする街だったんです。
今となっては、一つもないのが残念な、デパートも二つ、小さいものをいれれば三つありました。
松屋、野澤屋、松喜屋がそれで、後に松坂屋一店舗だけ(ゆずが路上ライブをしていた店です)となり、その松坂屋も2008年10月で閉店し、その前後から伊勢佐木町は、違う風貌を持つ街に変わっていくようにも感じられるのが、小っちゃな頃から馴染んできた身には、時の流れと言われても、さびしさばかりが先だってしまうのも仕方ないこと。
デパートばかりではありません。当時、日本映画は五社協定、六社協定なるものが示す通り、松竹、東映、東宝、新東宝、大映の各映画会社、その後日活が加わり、その他、第二東映(後のニュー東映)などというものもあって、活況を呈していたし、洋画の封切館として、ピカデリーもありました。各映画館は伊勢佐木町2丁目を中心にして点在し、東宝だけが馬車道と少し離れていましたが、伊勢佐木町から徒歩圏内で、封切り二本立てを観て歩くのは子どもの足でも容易でした。お小遣いさえ尽きなければの話しですが。
当時、夜の街伊勢佐木町などというイメージは地元の人たちにはなかった筈で、あるとしたら伊勢佐木町のメイン通りを挟んで若葉町、親不孝通りに任せるほかなかったでしょうね。