ぼちぼち日録

おかあさんと呼ばないで

2024年06月12日

シェア

中目黒には馴染みのセレクトショップがあって、月に一、二度顔を出している。

その道すがら、気張らずに入れそうな寿司屋があり、時々寄るようになった。カウンターが8席、奥にテーブル席が2つあるこぢんまりした店だ。

 

夕方と呼ぶには早い時分、カウンターで大将、客たちとお喋りを楽しみながら寿司をつまむ。それはゆったりとしたイイ時間であった。

客はこの時間帯に酒を呑むくらいだから地元の自営の人が多い。

何度か通ううち、いわゆる「よそ者」の私でもスッとその中に馴染めるようになった。

 

私はことさら名乗らなかった。時々この先の店にくるのよ、と言うくらいだった。

 

しばらく通った頃、大将が私を「おかあさん」と呼ぶようになった。

私はそう言われるのが嫌だったが言葉にはできないでいた。だが何度も続くうちに、店に行かなくなった。

 

一年くらい経った最近のこと、その日は冷たい雨が降っていた。通りはほとんど人気がない。

その寿司屋の前を通った時、ふっと入ってみようかなという気になった。

 

店内にはカウンターに客が一人いるだけだった。大将はあっという顔になり、私もお久しぶりと言った。

店は暇そうで、私も交えて気楽なお喋りが弾んだ。以前に戻ったようだった。そうしたなか、大将がまた言った。「おかあさん」・・。

 

私は今度はハッキリ言った。

「おかあさんと呼ばないで! わたしおかあさんじゃないし・・そう呼ばれるの好きじゃないのよ」。

 

それまで黙々と食べていたカウンターの客が顔をあげて私をみた。その場が一瞬止まった。

 

会計を済ませて入り口に向かった。店で数十年働いているという板前が外にいて「ありがとうございました」。お互いに顔を見合った。

 

私はまたこの店にくるだろうか?